鳥濱トメ、並びに令和3年7月に鬼籍に入られたトメの孫•鳥濱明久の墓前に手を合わせて参りました。
コロナ禍でなかなか知覧に訪れる事が出来ずにおりましたが、4年振りの慰霊祭の開催に合わせて久しぶりに知覧に来ることが叶いました。
知覧では、トメの曾孫の鳥濱拳大を訪ねてご挨拶したあと様々な史跡•戦跡も巡りましたので少しずつご紹介してまいります。(※この投稿を作成中に、ホタル館を訪ねた理由がわかるニュースがございましたので、明日以降順次公開してまいります。)
◉知覧の特攻観音堂側に、鳥濱トメが寄贈した灯籠や手水鉢
トメは戦後、米軍の目を避けて飛行場跡地に棒杭を立て、娘の美阿子、礼子と共に毎日欠かさず特攻隊員の墓標代わりにお参りしておりました。
「お国の為に命を賭して戦った特攻隊員のために、お国が観音堂を建てて彼等をお祀りしなければならない」と言い続けて、公費での建立のためにトメ自らも奔走し昭和30年にようやくその願いは実現しました。
観音堂が建立された際に、灯籠や手水鉢を寄贈しています。
この時から現在に至るまで、知覧の町中に灯篭が建立されるきっかけとなっていきました。今では陸軍特攻戦没者数といわれる1036柱を超える灯篭が知覧でみかけることができます。(一見、風景写真に見える青空の広がる写真には灯篭が写っています)
のちほど「ホタル館富屋食堂」のニュース記事についてご報告いたします。
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