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皆様、薩摩おごじょ新宿店店主の赤羽潤です。
「祖母・鳥濱トメと母・礼子から受け継いだ『薩摩おごじょ』を絶対に護りたい!」クラウドファンディングで皆様よりいただきましたご支援のリターンを発送いたしました。
今回は、母・礼子の著書「ホタル帰る」の文庫本や、母が店(薩摩おごじょ)でご来店の皆様にお渡ししていた名刺の復刻版、そして初めてオリジナルで作成した、日本手ぬぐい(鳥濱トメの言葉とお店の名前が入っており、知覧から飛び立った特攻隊の方々が最後に見た”開聞岳”や桜なども描かれています。)などのリターンを希望された皆様に向けて、第一弾を発送させていただきました。まもなく、皆様のお手元に届くと思います。
万が一、ご支援していただいたのに届かない、転居したけど知らせてなかった、届いたものに何かしら問題があったなどの場合には、クラウドファンディングのメッセージ機能やお店へ直接来てくださったときでも構いませんので、お知らせください。また、今回様々な面でバックアップしてくれている「知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会」にご連絡いただいてもかまいません。
お手数をおかけいたしますが、何卒よろしくお願いいたします。
6/20までの休業要請は解除となりましたが、新型コロナウイルス感染症まん延防止等重点措置に移行したため、時短営業の要請に応えて「薩摩おごじょ新宿店」は、夜20時までの営業とさせていただいております。営業再開後、初日は多くの常連さんたちが顔を見せてくださいましたが、翌日以降、お客様は非常にまばらです。
今後、どうなるか心配ではありますが、何としてもお店を遺さないため精一杯頑張ります。お店で皆様にお会いできることを楽しみにしております。
さて、皆様にご支援いただきましたクラウドファンディングのリターン各種について、経過報告させていただきます。
「特攻勇士の像」は、完成後に世田谷観音様で奉納法要をしたあと皆様のお手元にお届け致しますので、届くのは8月頃を予定としておりますので、今しばらくお待ちください。
映画「さつまおごじょ」の再編集版(仮)の公開については、年内の公開を目標としてカートエンターテイメント様に一任しておりますので、合わせていましばらくお待ちくださいませ。
皆様のご支援をもとにお店を存続させるため、誠心誠意頑張ってまいりたいと思いますので、ぜひ、今後も薩摩おごじょ新宿店の応援をよろしくお願いいたします。
どうぞ、またお店でお会いしましょう。お待ちしております。
薩摩おごじょ新宿店 店主
知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会 顧問
鳥濱トメ・孫 赤羽潤
【第67回知覧基地特攻戦没者慰霊祭】
知覧特攻慰霊顕彰会から、昨年に続き本年も一般参列者の参列は中止となったため、真宗大谷派大徳寺のご住職をお招きし、
知覧特攻慰霊顕彰会役員(理事)の方々のみの参列にて、慰霊法要が執り行われたとのご報告のお手紙が届きました。
当日の様子がわかる写真とお手紙を頂戴いたしました。
本年は、5月3日19時30分より戦没者の鎮魂と慰霊のため花火「祈り火”菊花”」が打ち上げられたそうです。
来年こそ、新型コロナウイルス感染の収束をもって、改めて参列できることを願っております。
また、知覧にあります「ホタル館富屋食堂」は現在も10:00~15:00の時短営業をされています。
新宿三丁目の「薩摩おごじょ新宿店」も、同じく新型コロナウイルスの影響で発出された緊急事態宣言に伴う東京都の
飲食店への休業要請を受け、6月20日まで休業予定です。
鳥濱トメの想いを継ぐお店や資料館など、末永く伝え継いでいかなければならないと思いますので、我々にできることを
少しずつでもしていきたいと思います。
また、営業再開の折には、どうぞご来店くださいますよう宜しくお願い申し上げます。
本日は、知覧から特攻出撃し散華された「藤井一中佐」の御命日でもありますね。合掌
事務局
【第50回万世特攻慰霊碑慰霊祭】
本年度も昨年に続いて新型コロナウィルス感染拡大防止のため150席まで座席数を減らし、感染防止対策を施したうえで令和3年4月11日に慰霊祭が挙行されたとのことです。
当会では会員の皆様のご支援のおかげで毎年供花しており、本年も万世慰霊碑奉賛会より御礼のお手紙と本年の供花写真を賜りましたのでご紹介いたします。
一緒に掲載した写真のうち、仔犬を抱いた少年飛行兵たちは「第七十二振武隊」隊員です。前列左より、早川勉伍長(十八歳)、荒木幸雄伍長(十七歳)、千田孝正伍長(十八歳)。後列左から、高橋要伍長(十八歳)、高橋峯好伍長(十七歳)。みんな20歳にも満たない、あどけなさの残る若者たちでした。
この写真は特攻出撃予定時刻の2時間前に撮影されたと言われていますが、くったくのない笑顔を見せていますね。この写真が朝日新聞に「某基地にて」と掲載されたため、戦後もしばらく第七十二振武隊は知覧から出撃したと伝えられてきました。実際には万世基地から出撃していることが戦後しばらくして判明し、話題となりました。
彼らは出撃の前日、南薩鉄道加世田駅近くの「飛龍荘」に宿泊していました。飛龍荘は大きな割烹旅館で二階に第六十六戦隊隊員、一階が特攻隊員の宿泊用とされていました。そして飛龍荘にも、鳥濱トメのように隊員たちに心から尽くしていた女主人、山下ソヨさんがいました。
鳥濱トメや山下ソヨさんのように、親身になって隊員たちの面倒をみた方は全国各地にあった基地周辺に居たと思われます。しかしながら、戦後の混乱の中でも一切その気持ちがぶれることなく、特攻隊員の慰霊と残されたご遺族のために人生を捧げ、九州最大の陸軍特攻基地があった知覧の名を全国区とし、現在まで続く慰霊祭や特攻隊の顕彰事業を後世に残した鳥濱トメの功績は非常に大きなものであると思います。
当顕彰会は、これからも鳥濱トメの偉業を後世に伝え継いでいくために、活動を続けてまいりたいと思います。それには、皆様のご支援とご協力が不可欠であると考えております。何卒、今後ともご支援・ご協力の程よろしくお願いいたします。
事務局
今から29年前の平成4年4月22日、特攻隊員から慕われ、『お母さん』と呼ばれていた鳥濱トメは鬼籍へと入りました。
本日は御命日となります。
大東亜戦争中、鹿児島の知覧町(現南九州市知覧町)の陸軍指定食堂となった「富屋食堂」の女将、鳥濱トメ。
しかし戦況の悪化した戦争末期には、知覧飛行場は陸軍特別攻撃隊の出撃基地となります。その知覧基地から出撃した特攻隊員は436名にものぼります。
特攻隊員は、全国から知覧へと集められました。年齢は20歳そこそこの若者が殆どで、中には10代の隊員もいました。その出撃前の最後のひと時を深い愛情で包み、彼ら全員の”お母さん”となったのです。
戦争中は「軍神」などと世間から崇められた特攻隊でしたが、敗戦後すぐに手のひらを返したように「軍国主義の象徴」などと蔑み、生き残った方々でさえ「特攻崩れ」と言われ罵倒されました。
そんな中、世間が何と言おうともブレずにただひたすらに「特攻隊のあの子たちの為に観音堂を建てなくてはならない。お国のために散らしたあん子らの命は、お国が弔わなければならない。」と言い続け奔走しました。観音堂が建立されるまで、飛行場跡地に棒杭を立ててお墓の代わりとし、毎日お参りを続けていました。
その願いが叶い、知覧の飛行場跡地に観音堂が建立されたのは昭和30年秋のことでした。それからもトメは、晩年に足腰が悪くなり観音堂へ通えなくなってしまうその日まで、欠かさずお参りを続けました。そのたびに、近所の子供達を観音堂へ連れて行き掃除をさせ、特攻隊員のことを語りながら、おやつや果物などを食べさせて、観音堂に慣れ親しむよう、そして参拝が「当たり前」になっていくように長い時間をかけて尽力しました。
それが「特攻隊慰霊顕彰の町 知覧」の礎となり、現在へと続いているのです。
知覧の観音堂の御宝前で5月3日には毎年盛大な「知覧基地特攻戦没者慰霊祭」が催行されています。*昨年、本年は残念ながら新型コロナウイルスの影響により中止となりました。
鳥濱トメが遺した、特攻隊員への慰霊顕彰の気持ちを受け継ぎ、鳥濱トメの偉業を一人でも多くの方に伝えていきたいと思います。
お時間がございましたら、皆様にもどこかで黙とうをお願いできましたらと思います。
事務局
【皆様へのお願い】
顕彰会ホームページおよびフェイスブック、Twitterページの画像・音声・動画の二次使用、転載はご遠慮ください。
皆さん本当に有難う御座いました
薩摩おごじょクラウドファンディング 祖母・鳥濱トメと母・礼子から受け継いだ『薩摩おごじょ』を絶対に護りたい!が26日、深夜23時59分を持ちまして終了致しました。
この度、お陰様でたくさんの皆様からのご支援をいただきまして、先ずはこの場をお借りして感謝の気持ちとともに御礼を申し上げます。本当に有難う御座います。
ご支援をいただきました皆様へのリターンにつきましては、これから発注し後、製作をさせていただく次第です。皆様へのお届けにつきましては、今しばらくの期間を頂戴し、準備が整いましたらお手元へ発送させていただく事になりますので宜しくお願い致します。
皆様から頂戴致しましたご支援とお気持ちを無駄にする事のない様、祖母・鳥濱トメそして母・礼子から受け継いだ、このお店『薩摩おごじょ』を護り続けます‼️
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
改めて、皆様本当に有難う御座います。
薩摩おごじょ新宿店 店主
知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会 顧問
赤羽 潤より