知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会

当会は、特攻隊の偉業を顕彰し鳥濱トメの想いを引き継いで、正しい歴史認識を広めるための活動をしています。

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ニュース

『帰って来た蛍〜令和への伝承』開幕

カートエンターテイメントプロデュース・知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会共催舞台
『帰って来た蛍〜令和への伝承』
7月23日、無事に初日を迎える事が出来ました。
また、24日は鳥濱トメさんの曾孫の鳥濱拳大さん(当会顧問)が舞台に登壇され、ご来場の皆様にご挨拶をされました。
新型コロナ感染症も第七波到来と言われておりますが、劇場にお越し下さいましたお客様に厚く御礼申し上げます。
26日は休演日となりますが、7月31日まで上演されますのでおいで下さるお客様は、気を付けてお越し下さいませ。
また、WEB配信もございますので、遠方の方やスケジュールの都合等でご来場が難しい方などもご覧いただけます。ぜひご利用くださいませ。
事務局

令和4年靖國神社 みたままつり

靖國神社の みたままつり 初日
当会の献灯のほか、今月23日から上演の共催舞台「 帰って来た蛍 〜令和への伝承〜」の大きな献灯もあります。
柿崎理事長、トメ役伊藤つかささん、礼子役竹島由夏さん、初演の宮川少尉役出合正幸さんの大型献灯もあります。
また、境内には柿崎理事長が映画監督として揮毫をされた掛け雪洞も掲揚されており、「帰って来た蛍 」出演の 伊藤つかさ さん、竹島由夏 さん、半井小絵 さん、さとう玉緒さんや特別プロデューサーの 井上和彦 さんの掛け雪洞も見ることが出来ます。
揮毫は、画家や書家、俳優や実業家など多くの著名人が靖國神社の英霊に想いを寄せて掲揚されています。
事務局

【鳥濱トメ孫、鳥濱明久 御命日】

本日、7月5日は鳥濱トメの長女・鳥濱美阿子の子息で、昨年鬼籍へと入られた鳥濱明久氏の御命日となります。
鳥濱明久氏は幼少の頃より祖母であるトメとともに観音堂に通い、トメから特攻隊の語り部を聴き続けて育ちました。足腰のわるくなったトメの晩年にも観音堂への参拝に毎日のように付き添い、母の美阿子のサポートもしながら本当によく尽くされておられました。
ホタル館富屋食堂館長、知覧茶屋の店主としても長い間勤め上げてこられ、当会が設立当初の平成25年から赤羽顧問とともに顧問を勤められておられました。日本全国の小中学生から青年会議所、企業研修などありとあらゆる方々、約80万人超に向けて「鳥濱トメと特攻隊」の真実を伝え継いでおられました。
しかし昨年、まだ六十歳という若さで鬼籍に入られました。残念でなりません。
本日は鳥濱明久に想いを馳せて、お手を合わせていただきましたらと存じます。
合掌
1人、室内の画像のようです

靖國神社みたままつり

本年も靖國神社みたままつりの献灯申込を行ってまいりました。

7月13日から16日まで掲揚されます。

鳥濱トメ顕彰会の提灯のほか、理事長の柿﨑裕治、共催舞台「帰って来た蛍」、出演者で初演の際に

宮川三郎少尉を演じた出合正幸さん、トメ役の伊藤つかささん、礼子役の竹島由夏さんの大型献灯も

あります。境内には、柿﨑理事長、伊藤つかささん、竹島由夏さんの「揮毫」の掛雪洞も掲揚される

予定となっております。

ぜひ、お誘いあわせの上ご参拝ください。

https://www.yasukuni.or.jp/schedule/saiji.html

宮川三郎少尉御命日

宮川 三郎 陸軍少尉  享年二十
昭和元年六月五日生 新潟県小千谷市出身
昭和二十年六月六日 陸軍特別攻撃隊第一〇四振武隊
戦死後 二階級特進 少尉任官
宮川三郎少尉もまた、トメを慕い富屋食堂に足繁く通った特攻隊員でした。
当会が共催させて頂いている、カートエンターテイメントプロデュース舞台「帰って来た蛍~令和への伝承~」にも登場致します。
本日は宮川三郎少尉の出撃した日、御命日です。
合掌

松崎義勝 陸軍少尉

【鳥濱トメと特攻隊】
蛍になって帰って来た宮川三郎少尉と同郷であった松崎少尉をご紹介します。
松崎義勝少尉 新潟県出身 享年十九
昭和二十年五月二十日 陸軍特別攻撃隊第五十振武隊として知覧基地より出撃、散華
 松崎少尉(伍長から二階級昇進)は宮川少尉(軍曹から二階級昇進)と同じ、新潟県小千谷の高等小学校で級長・副級長の座を争い、共に切磋琢磨した親友同士でした。やがて、松崎少尉は陸軍少年飛行兵第13期生としての道を選びました。
 卒業後別々の道を歩み始めた二人でしたが、混乱の時代、互いが飛行兵としての道を新たに選んだことはうっすらと耳に入っていました。
そして、二人はばったりと知覧の地で再会を果たしました。
 宮川少尉は第一〇四振武隊隊員、松崎少尉は第五十振武隊隊員として共に肩を叩き合い、再会を喜びました。 もちろん、二人は富屋食堂にも顔を出していました。しかし、その喜びもつかの間であることをお互いに分かっておられました。 松崎少尉は、昭和20年5月20日出撃し散華されました。
宮川少尉はかつての親友の出撃を見送り、自身もそのことをつづった手紙を故郷の家族あてに書いたと伝わっています。
そして松崎少尉も最期に家族に宛てた手紙を出されておりますので、ご紹介します。
前略
いよいよ来ました。母上やりますよ。見てゝ下さい。
此の便の着く頃はもう敵空母と運命を共にし、木っ葉みじんに成ってることでしょう。
 それから山口県防府市三田尻鞠生町吉野三夫様在府中一方ならず御世話に成りました故よろしくお願い致します。
 今更言いのこすこともありません。くれぐれもお身体大切に。
それでは永遠にさようなら。
                             草々
*当会設立以前のお話になりますが、平成21年の知覧特攻基地戦没者慰霊祭に参列するため、トメの孫である赤羽潤さん(現・当会顧問)らと鹿児島市内で知覧に向かうバスを待っていたところ、待合のベンチで雑談を交わした女性が偶然にも松崎少尉の妹さんでありました。 巡り合わせに非常に感動したことを覚えております。
本日は、松崎少尉の御命日です。
合掌

光山文博(卓 庚鉉)陸軍大尉

【鳥濱トメと特攻隊】
光山文博(卓 庚鉉)陸軍大尉
昭和二十年五月十一日 享年二十四
陸軍特別攻撃隊 第五十一振武隊 沖縄周辺洋上にて散華 二階級特進大尉任官
 昭和18年、光山大尉は京都薬学専門学校(現・京都薬科大)から学徒出陣し、太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所時代の知覧飛行場に入校し、特別操縦見習士官第一期生として、教育隊で操縦教育を受けていました。
そのころから、すでに陸軍指定食堂となっていた富屋食堂に頻繁に訪れて鳥濱家の面々と交流を図っており、そのころからすでに彼は、「自分は朝鮮人です」と口にしていたそうです。
そんな光山大尉を、トメさんは何かと気にかけ面倒を見ながら、一緒に食事したりまるで自分の息子のように可愛がっていたそうです。そんな中、彼は別の基地へ異動していきました。
昭和20年になって、光山大尉は知覧に戻ってきました。この時期に戻って来たということは特攻隊員になったんだ、とトメも気付き、残り少ない時間を大切に過ごしていきます。
 出撃前夜の5月10日の夜、食堂に一人で来ていた光山大尉をトメは自分たち家族の部屋に呼び、長女の美阿子と次女の礼子の4人で過ごしていました。
光山大尉は、いつもは戦友らと居ても軍歌など歌ったりしなかったのですが 「今夜は最後だから、故郷の歌を歌うよ。おばちゃん。」と言い、歌い始めました。
光山大尉は帽子深くかぶって顔を隠しましたが、肩がふるえているのを鳥濱家の皆は気が付いていました。トメや娘たちもたまらなくなって泣きながら一緒に「アリラン」を歌いました。
光山大尉は歌い終わると、朝鮮の布地で織った黄色い縞の入った財布に、筆で「贈 為鳥浜とめ殿 光山少尉」と書いて渡しました。
(実物は、今も知覧の「ホタル館富屋食堂-鳥濱トメ資料館-」で見る事が出来ます。)
「おばさん、今日まで大変お世話になりました。お世話になった御礼と言ってもこんなものしかありませんが、形見と思い、受け取ってください。」と言いました。
翌日、光山少尉は、遺書も書かずに出撃されました。
本日、光山大尉の御命日です。
合掌

第51回万世特攻慰霊碑慰霊祭開催

第51回 万世特攻慰霊碑慰霊祭 が令和4年4月10日に挙行されました。
当会からも、会員の皆様のご支援により例年通り供花させていただいておりましたので、万世慰霊碑奉賛会より御礼のお手紙と写真を賜りました。
仔犬を抱いた写真で有名な荒木幸雄少尉 ら 第72振武隊(ほがらか隊)は、ここ陸軍万世特攻基地から沖縄の海へと飛び立ち、散華されました。
万世飛行場の近くには、戦時中に飛龍荘という民宿があり、そこの女将らが特攻隊員に尽されたというお話も残っております。

鳥濱トメ御命日

今からちょうど30年前の平成4年4月22日、鳥濱トメは鬼籍へと入りました。89歳の大往生でした。本日は御命日です。
 
 昭和4年から鹿児島県川辺郡知覧町(現:南九州市知覧町)で「富屋食堂」を営み、女将をしていた鳥濱トメ。大東亜戦争が開戦した翌年に「富屋食堂」は陸軍指定食堂となりました。
トメが40歳のときでした。
 戦争末期に知覧飛行場は特別攻撃隊の基地となり、全国各地から若い特攻隊員たちが集めれ、出撃していきました。知覧から出撃した陸軍特攻隊員は436名におよび、トメはその特攻隊員の方々の出撃までの最期のわずかなひと時を深い愛情で包み込み、彼ら全員の”お母さん”となったのです。トメはいつのまにか「特攻の母」「特攻おばさん」などと呼ばれるようになっていました。
 
 戦争中は「軍神」などと世間から崇められた特攻隊でしたが、敗戦後すぐに手のひらを返したように「軍国主義の象徴」などと蔑み、特攻から生き残った方々でさえ「特攻崩れ」と言われ、罵倒されました。
 戦後すぐにトメは飛行場跡地に棒杭を立てて特攻隊員の墓標代わりとし、欠かさず毎日参拝を続けていました。
トメは、ただひたすらに世間が何と言おうともその信念を曲げることなく「特攻隊のあの子たちの為に観音堂を建てなくてはならない。お国のために散らしたあの子らの命は、お国が弔わなければならないんだよ。」と言い続け、奔走しました。
 その願いが叶い、飛行場跡地に観音堂が建立されたのは昭和30年秋のことでした。観音堂が建立され、最初の慰霊祭が開催されたのちも観音堂に参拝に来る人たちは稀で、トメだけがお参りしているのが日常でした。
 それでもトメは近所の子供達を観音堂へ連れて行き、掃除をさせてから手を合わせ、特攻隊員のことを語りながら果物やおやつなどを食べさせました。子供たちだけでなくご遺族以外でも観音堂に慣れ親しむことと参拝が「当たり前」になっていくように、長い時間をかけて尽力したのです。
 
それが「特攻隊慰霊顕彰の町 知覧」の礎となり、現在へと続いているのです。 
 昭和30年に建立された観音堂も現在は三代目となり、今も守られております。毎年5月3日には、「知覧基地特攻戦没者慰霊祭」が観音堂の御宝前で催行されています。*本年も残念ながら新型コロナウィルス感染拡大の影響により、関係者やご遺族のみの参列となります。
 
 当会は鳥濱トメが遺した、特攻隊員への慰霊顕彰の気持ちを受け継ぎ、鳥濱トメの偉業を一人でも多くの方に伝えていきたいと思います。
 
御命日に際し、お時間がございましたら皆様にもお手を合わせていただけましたら幸甚です。
 
合掌

第43回特攻隊全戦没者慰霊祭

3月26日(土)

桜咲く靖国神社において公益財団法人特攻隊戦没者慰霊顕彰会の主催により『第43回特攻隊全戦没者慰霊祭』が

催行され、柿﨑理事長がご来賓でご招待いただいたほか、カートエンターテイメント共催舞台『帰って来た蛍』の

出演者である鳥濱トメ役の伊藤つかささん、鳥濱礼子役の竹島由夏さん、榎木薗郁也さん、島村明日果さんのほか、

事務局、当会会員複数名にて参列して参りました。

本年も残念ながら新型コロナウィルス感染症感染予防のため、懇親会は行われませんでした。

#特攻隊 #靖国神社 #鳥濱トメ