知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会

当会は、特攻隊の偉業を顕彰し鳥濱トメの想いを引き継いで、正しい歴史認識を広めるための活動をしています。

〒154-0001 東京都世田谷区池尻2-37-2-202

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ニュース

【知覧特攻基地戦没者慰霊祭に参列します】

コロナ禍で、中止や参列者の限定をしていた「知覧特攻基地戦没者慰霊祭」ですが、本年はご遺族や関係者のみならず参列できるとのことでご案内がございました。

本年は理事長をはじめとして、舞台「帰って来た蛍」出演俳優、赤羽顧問、事務局、会員も多数参列いたします。

写真は知覧から出撃した特攻隊員が最期に見た日本の景色。 薩摩富士とも呼ばれる開聞岳です。

事務局

【鳥濱トメ御命日】

平成4年4月22日、鳥濱トメは特攻隊員たちの待つ場所へと旅立ちました。多くの特攻隊員たちに「おばちゃん、俺の残りの人生あげるから、長生きしてな」と、声をかけられたトメは、89歳の大往生でありました。
 鳥濱トメは、昭和4年から鹿児島県川辺郡知覧町(現:南九州市知覧町)で「富屋食堂」を営み、女将をしており、大東亜戦争が開戦した翌年に「富屋食堂」は陸軍指定食堂となりました。ちょうどトメが40歳のときでした。
 戦争末期に知覧飛行場は特別攻撃隊の基地となり、全国各地から若い特攻隊員たちが集めれ、出撃していきました。知覧から出撃した陸軍特攻隊員は436名におよび、その特攻隊員の方々の出撃までの最期のわずかなひと時を、トメは深い愛情で包み込み、彼らから”お母さん”と慕われるようになっていました。
 そうしてトメはいつのまにか「特攻の母」だとか「特攻おばさん」などと呼ばれるようになっていました。
 戦争中は「軍神」などと世間から崇められた特攻隊でしたが、敗戦後、少なくない数の国民から、手のひらを返されたように「軍国主義の象徴」などと蔑まれ、特攻から生き残った方々でさえ「特攻崩れ」と罵倒されました。
 戦後すぐに、トメは飛行場跡地に棒杭を立てて特攻隊員の墓標代わりとし、欠かさず毎日参拝を続けていました。トメは、ただひたすらに、たとえ世間が何と言おうともその信念を曲げることなく「特攻隊のあの子たちの為に観音堂を建てなくてはならない。お国のために散らしたあの子らの命は、お国が弔わなければならないんだよ。」と言い続け、奔走しました。
 その願いが叶い、飛行場跡地に観音堂が建立されたのは昭和30年秋のことでした。
 観音堂が建立され、最初の慰霊祭が開催されたのちも観音堂に参拝に来る人たちは稀で、トメだけがお参りしているのが日常でした。
 それでもトメは近所の子供達を観音堂へ連れて行き、掃除をさせてから手を合わせ、特攻隊員のことを語りながら果物やおやつなどを食べさせました。子供たちだけでなくご遺族以外でも観音堂に慣れ親しむことと参拝が「当たり前」になっていくように、長い時間をかけて尽力したのです。
 それが「特攻隊慰霊顕彰の町 知覧」の礎となり、現在へと続いているのです。
 昭和30年に建立された観音堂も現在は三代目となり、今も大切に守られております。毎年5月3日には、「知覧基地特攻戦没者慰霊祭」が観音堂の御宝前で催行され、新型コロナの影響で参列できなかった年が続いておりましたが、本年は久しぶりに一般の方々も参列ができることになりました。
 当会は鳥濱トメが遺した、特攻隊員への慰霊顕彰の気持ちを受け継ぎ、鳥濱トメの偉業を一人でも多くの方に伝えていきたいと思います。顕彰会もこの4月で設立10周年を迎えました。これもひとえにご支援ご協力いただいている皆様のおかげです。
 鳥濱トメの御命日に際し、お時間がございましたら皆様にもお手を合わせていただけましたら幸甚です。
合掌

【鳥濱美阿子 御命日】

本日は鳥濱トメの長女、鳥濱美阿子の御命日です。
戦時中、母トメと妹の礼子とともに「富屋食堂」に通う特攻隊員の方々に親身になって接しました。
昭和55年2月4日、五十代前半の若さで鬼籍に入られました。
写真は昭和19年5月31日柳谷教官と共に、右端が美阿子、中央がトメ、左手前が礼子です。
皆様にも、お手を合わせていただけましたらと存じます
合掌
事務局

令和5年正月「謹賀新年」

【迎春】
旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠に有難う御座いました。
本年で当会は設立10周年を迎えます。
これからもしっかりと鳥濱トメと特攻隊の真実を伝え継いで参ります。そのためには、皆様のご協力とご支援が必要です。
何卒、本年も変わらぬご支援・ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
令和五年 元旦
事務局

【当会顧問 赤羽潤氏 講演会のお知らせ】

令和4年10月16日(日)14:00〜
岐阜市文化センターにおいて、『桜嵐会』様主催で当会顧問の赤羽潤氏の講演会が開催されます。
どなたでも参加可能、小中学生は無料とのことですので、お子様連れで是非おいでください。
先着120名様までとなっております。
お問合せは主催の『桜嵐会』代表 大野ゆうじ様までお願い申し上げます。
なお、下記のリンクからお申込みが出来ます。
皆様のお越しをお待ち申し上げております。
事務局

鳥濱顧問TV出演 「曾祖母は”特攻の母”、父の遺志継ぐ」

鳥濱明久氏の跡を継いで「ホタル館富屋食堂」館長と「知覧茶屋」店長を務める鳥濱拳大氏。今回、Yahoo!と鹿児島読売テレビのコラボ企画、『未来に遺す戦争の記憶』と題した特集で取材を受け、鳥濱トメと特攻隊について語っておられます。昨年7月にトメの孫であり父である明久氏の跡を継いで早1年が過ぎましたが、すでに講演は100回を超えていて、精力的に頑張っておられます。

当会では、今後鳥濱拳大顧問と協力し、1人でも多くの方々に鳥濱トメと特攻隊の真実を伝え継いで参りたいと思います。

講演依頼やイベント出演も承りますので是非、お声がけください。

 

yahoo!特設ページのスクリーンショット画像

https://wararchive.yahoo.co.jp/wararchive/kyt4.html?fbclid=IwAR01pTvb7QcZkv3NhEEgTksLEEIZaHJLMled8MpLj64ogztjKNn6cuVSV3E

 

「鳥濱トメと特攻隊」赤羽顧問講演

・講演会「鳥濱トメと特攻隊員たち」・
8月14日、認定特定非営利活動法人まほろば教育事業団のご依頼で中・高校生たちに鳥濱トメから語り継がれてきた特攻隊員の講演会を行って参りました。
会場は靖国神社の目の前なので先ずは学生さんたちは靖国神社で参拝してから私の講演会と言う流れになりました。
一時間の講演中、学生たちは私の目をしっかり見て、真剣な眼差しで聞き入っておりました。
私も伝えなければと言う気持ちが増して熱く語らせていただきました。
私の講演会が終わると学生たちは靖国神社の遊就館に行かれました。
今の時代、なかなか素晴らしい❗学生の子たちだと、私は感心致しました。
まだまだ!この日本も捨てたもんじゃない!
この子達の将来を期待したい!そう感じた一日でした。

知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会顧問

赤羽潤

『帰って来た蛍〜令和への伝承〜』千穐楽を迎えました

カートエンターテイメントプロデュース•当会共催舞台『帰って来た蛍〜令和への伝承〜』
お陰様を持ちまして、無事、千穐楽を迎えることが出来ました。
真夏日が続き非常に暑い中にも関わらず、お忙しい中劇場に脚をお運びいただきました皆様には、心より感謝申し上げます。
今回の公演はコロナ禍が続いて延期となっていたため5年振りの公演であり、感染者数がピークを迎えているさなか、万全の感染防止対策を施したうえでの上演となりました。無事に千穐楽を迎えられたことは出演者やスタッフの努力の賜物であると同時に、鳥濱トメや英霊のお導きであったと思います。
また、鳥濱明久顧問が鬼籍に入られてから初の公演となり、御子息で鳥濱トメの曾孫である鳥濱拳大氏にご登壇いただき、ご挨拶を頂戴いたしました。
また、鳥濱トメの孫で当会顧問である赤羽潤顧問にも千穐楽にご登壇いただきました。
今回、元大日本帝国陸軍で特攻隊員であった方から『まるで当時のようで、昔を思い出しました。』というご感想を賜ったり、特攻隊員のご遺族などにもおいでいただき、お褒めの言葉を頂戴しました。
そして、本公演は決して特攻作戦の是非を問うものではなく、史実として後世に伝え継いでいくという大切な責務を担っているということと、ウクライナ情勢から多くの若い世代の方々が、戦争についてや国を守るということに関心を持っている状況で皆様に観ていただけたことは大変意義深いものであったと思います。
このたび、ご来場ならびにWEB配信をご覧いただいた皆様、誠に有難う御座いました。
これからも、カートエンターテイメントと共に本公演「帰って来た蛍」を共催させていただき、多くの人々に伝え継いで参りたいと存じます。
事務局