知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会

当会は、特攻隊の偉業を顕彰し鳥濱トメの想いを引き継いで、正しい歴史認識を広めるための活動をしています。

〒154-0001 東京都世田谷区池尻2-37-2-202

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ニュース

謹賀新年 令和6年 

謹んで新春のお慶びを申し上げます。
旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠に有難う御座いました。
本年は、より多くの皆様に鳥濱トメと特攻隊の真実を伝え継いで参ります。新しい試みも始める予定でございます。
そのためには、皆様のご協力とご支援が必要です。
何卒、本年も変わらぬご支援・ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
※本日夕方に発生いたしました能登半島地震にて被災された方々のご無事を祈念するとともに、続く余震による二次災害等に遭われませぬよう充分ご注意いただきますよう、お願い申し上げます。
令和六年 元旦
事務局
1人、テキストの画像のようです

【年末のご挨拶】

本年、当会は設立から10周年を迎えることができました。これもひとえに、ご支援、ご協力くださっている皆様のお蔭様であると存じます。改めまして心より御礼申し上げます。
長引くウクライナとロシアの戦争、パレスチナとイスラエルの戦闘激化などで、多くの日本人が戦争に関心を抱き、先の大戦について取り上げられた映画やコミックスなども多くの反響を呼びました。決して、遠い昔のことなどではないのだと改めて考えられた方も多いのではないでしょうか。
また、長らく続いた新型コロナウイルス感染症も2類から5類へと移行となり、様々な行事等が少しずつコロナ禍以前のように開催するようになってまいりました。
5月には知覧の特攻観音堂前で開催される「知覧特攻基地戦没者慰霊祭」に4年ぶりに参列することが叶い、靖國神社みたままつりや世田谷観音特攻平和観音年次法要などにも参列することができました。
来年6~7月には、カートエンターテイメントと当会の共催舞台『帰って来た蛍』の上演が決定しております。
本舞台を通じて、より多くの皆様に鳥濱トメと特攻隊のことを知っていただきたいと存じます。
当会は鳥濱トメの遺した想いを受け継ぎ、これからもその偉業を一人でも多くの方に伝えて参りたいと思いますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
本年も、ご支援いただきまして誠にありがとうございました。
皆様のご健勝とご多幸を祈念申し上げます。
どうぞ良い年をお迎えくださいませ。
事務局

【第72回特攻平和観音年次法要 参列】

 9月23日(土・祝)秋分の日に、東京都世田谷区下馬にある世田谷山観音寺において『第72回特攻平和観音年次法要』が催行されました。
長引いたコロナ禍の影響から4年ぶりに一般参列者が参列可能な法要となりました。
 柿﨑理事長は来賓としてお招きいただきました。当会が共催させていただいているカートエンターテイメントプロデュース舞台「帰って来た蛍」で鳥濱トメ役の伊藤つかささん、鳥濱礼子役の竹島由夏さん、同作出演の島村明日果さんならびに当会会員複数名、事務局も参列させて頂きました。
また、皆様からの年会費や寄附金から当会も供花を出させていただきました。カートエンターテイメントも、『帰って来た蛍出演者・製作一同』の名義で供花をされています。
 特攻平和観音年次法要は今ではあまり見かけることのない「神仏習合」で執り行われており、世田谷山観音寺太田恵淳住職の願文奏上と駒繋神社澤田浩治宮司による神儀が執り行われました。
 参加者全員で「同期の桜」「海ゆかば」を慰霊献歌、焼香をして特攻隊員の御霊の安らかなることをお祈りいたしました。また、甲飛喇叭(ラッパ)隊による奉納献奏も行われ、参列者の注目を浴びておられました。
 当会では、主催の慰霊法要(慰霊祭)以外にも、他団体が主催する特攻隊の慰霊祭等も参列しております。
 鳥濱トメの偉業を後世に遺していくことは当然の責務ですが、特攻という事実を伝え、先の大戦を風化させないよう努力し先人のご英霊への慰霊顕彰もしっかり行なって参りたいと存じます。皆様、ご支援ご協力の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
事務局
    

靖國神社「みたままつり」

靖國神社 において「みたままつり」7月13日より 16日まで開催されました。
当会の提灯3灯と、理事長で映画監督の 柿崎裕治 の提灯ならびに揮毫が境内に掲揚されており、『 帰って来た蛍』もございます。
また、舞台『帰って来た蛍』や映画『さつまおごじょ』で鳥濱トメ役の伊藤つかささん、同作で鳥濱(赤羽)礼子役の竹島由夏さん、『帰って来た蛍』初演で宮川三郎少尉を演じた出合正幸さん、『帰って来た蛍』でなでしこ隊役や鳥濱美阿子役でも出演された島村明日果さん、『帰って来た蛍』や『さつまおごじょ』にも出演された榎木薗郁也さんの提灯もあります。
当会顧問でトメの孫、薩摩おごじょ新宿店店主 赤羽潤 さん、同じく顧問でトメのひ孫、ホタル館富屋食堂の館長 鳥濱拳大 さんの提灯も掲揚されました。
境内には、柿崎監督のほかにも伊藤つかささん、竹島由夏さんの揮毫も掲揚され九段の夜を彩りました。
事務局
     

【鳥濱トメ孫、鳥濱明久 御命日】

本日、7月5日は鳥濱トメの長女・鳥濱美阿子の子息、鳥濱明久の御命日となります。
鳥濱明久は幼少の頃より祖母であるトメとともに観音堂に通い、トメから特攻隊の語り部を聴き続けて育ちました。
足腰の悪くなったトメの晩年も、観音堂への参拝に毎日付き添い、母の美阿子のサポートもしながら本当によく尽くされておられました。
ホタル館富屋食堂館長、知覧茶屋の店主としても長い間勤め上げてこられ、当会が設立当初の平成25年から赤羽顧問とともに顧問を勤められておられました。
日本全国の小中学生から青年会議所、企業研修などありとあらゆる方々、約80万人超に向けて「鳥濱トメと特攻隊」の真実を伝え継いでおられました。
しかしまだ六十歳という若さで鬼籍に入られました。
我々は鳥濱トメの想いを後世に繋いだ鳥濱明久の功績を讃えながら、その想いも大切にしたいと存じます。
本日は鳥濱明久に想いを馳せて、お手を合わせていただきましたらと存じます。
合掌

お知らせ 令和5年6月8日付 南日本新聞掲載

【お知らせ】
令和5年6月8日付 南日本新聞「南風録」に、当会SNSでもご紹介した宮川三郎少尉の秘話と故鳥濱明久当会顧問ならびにご子息の鳥濱拳大当会顧問、ホタル館について掲載されました。
どうぞご覧ください。
事務局

【宮川三郎少尉御命日】

宮川 三郎 陸軍少尉  享年二十
昭和元年六月五日生 新潟県小千谷市出身
昭和二十年六月六日 陸軍特別攻撃隊第一〇四振武隊
戦死後 二階級特進 少尉任官
当会で共催させていただいている、カートエンターテイメント舞台『帰って来た蛍』や、数々の映画や著書などでも紹介され非常に有名です。
 大東亜戦争末期、敗戦の色濃くなった日本軍が取った「と号作戦」いわゆる「特攻」。10代~20代の若い隊員たちが航空機に250キロ爆弾を抱え、連合国の艦船に突入する百死零生の攻撃方法です。宮川少尉もまた、特攻隊員でした。
 宮川三郎少尉は昭和二十年五月半ばころ、富屋食堂に姿を現しました。雪国「新潟」小千谷の生まれでした。
 知覧に近い「万世飛行場」から、一度は特攻出撃したものの、機体の調子が悪く帰還した経緯があり、生き残りの烙印を押され、不忠の汚名を着せられていました・・・。
 しかし宮川少尉にもついに再出撃の命が下ります。出撃前夜、富屋食堂を訪れた宮川少尉。その日は宮川少尉にとって満二十歳の誕生日でもあったのです。鳥濱トメは心づくしの手料理を振る舞い、宮川少尉の誕生祝いと出撃のはなむけとしました。
宮川少尉はその夜、トメにこんなことを伝えていました。
「おばちゃん、俺、心残りのことはなんにもないけど、死んだらまた、おばちゃんのところへ帰ってきたい。そうだ、蛍だ、俺、この蛍になって帰ってくるよ。俺が帰ってきたら、みんなで<同期の桜>を歌ってくれよ。」
宮川少尉出撃の日の夜のことです。
ラジオが9時を告げ、ニュースが始まってすぐのことでした。わずかに開いた表戸の隙間から一匹の大きな蛍が入ってきたのです。二人の娘たちは、ほぼ同時にその光景に気がつき叫び声をあげました。
「お母さーん、宮川さんよ、宮川さんが帰ってきたわよ!」
トメは息を呑みました。
そこには、紛れもなく帰ってきた「宮川少尉」がいたのです。気がつくと、店にいた兵隊たち、滝本伍長、そしてトメと娘たちは「同期の桜」を歌い始めていました。
貴様とおれとは
同期の桜
おなじ航空隊の
庭に咲く
咲いた花なら
散るのは覚悟
みごと散りましょ
国のため
貴様とおれとは
同期の桜
離れ離れに
散らうとも
花の都の
靖国神社
春の小枝で
咲いて逢ふよ
※参考:赤羽礼子 石井宏 著書「ホタル帰る」
宮川少尉はトメたちとの「約束」を果たしました。そして、現代を生きる私たちに日本の未来を託し、今も見守ってくれていると思います。
本日は宮川三郎少尉の出撃した日、御命日です。
合掌
 

『鳥濱トメと特攻隊』講演会

5月21日、鴨川市文化体育館1階で鴨川青年会議所主催、鴨川市教育委員会後援にて開催されました講演会においでいただきました皆様、誠に有難うございました。
今回は鴨川青年会議所創立55周年記念事業「繋ぐ 特攻隊員に託された日本の未来」という事でお招き頂きました。
講演後に「今の私達が居るのは特攻隊のあの方々のお陰です」と声を掛けてくださいました方もおり、皆さんにトメの想いが伝わったなぁと感じました。
全国、講演に参りますので是非お問合せください。
知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会ホームページ「お問合せ」からもお申込みも可能です。

南日本新聞掲載のお知らせ

南九州地方を中心に販売されている、南日本新聞の5月5日朝刊地域総合版(P.11)に、鳥濱トメ顕彰会ならびに当会顧問であり「ホタル館富屋食堂」館長の 鳥濱拳大 さんに関連するニュースが掲載されましたのでお知らせいたします。
【内容】
大東亜戦争中、鳥濱トメの営む富屋食堂にも訪れ鳥濱家と交流のあった特攻隊員 勝又勝雄大尉(戦死後、二階級特進し大尉)の肖像画をお持ちの方から当会に寄贈したいとのお申し出に対し、柿﨑裕治 理事長の発案で当会を介して「ホタル館富屋食堂」へ寄贈することになり、コロナ禍でなかなか寄贈することができなかったのですが、今年、「知覧特攻基地戦没者慰霊祭」が4年ぶりに開催される機会に合わせて寄贈が実現したニュースを取り上げています。
寄贈の際は、トメの孫でホタル館特任館長も務める 赤羽潤 当会顧問も同席しました。
ぜひ、皆様ご一読ください。
※Webニュースでも取り上げられました。
『残りの人生はおばさんにあげる…出撃前の特攻隊員を描いた肖像画、鳥浜トメさんゆかりの「富屋食堂」に届く 知覧 (南日本新聞) 』
https://news.line.me/detail/oa-373news/7lk3hr7uoh94?mediadetail=1&utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none&fbclid=IwAR1twjP9UWzcWiB3yBnGlbxny9XFz98l08S4zXjT0dxEvWYZ-Zuq7YyXXMg

知覧特攻基地戦没者慰霊祭を前に

鳥濱トメ、並びに令和3年7月に鬼籍に入られたトメの孫•鳥濱明久の墓前に手を合わせて参りました。
コロナ禍でなかなか知覧に訪れる事が出来ずにおりましたが、4年振りの慰霊祭の開催に合わせて久しぶりに知覧に来ることが叶いました。
知覧では、トメの曾孫の鳥濱拳大を訪ねてご挨拶したあと様々な史跡•戦跡も巡りましたので少しずつご紹介してまいります。(※この投稿を作成中に、ホタル館を訪ねた理由がわかるニュースがございましたので、明日以降順次公開してまいります。)
◉知覧の特攻観音堂側に、鳥濱トメが寄贈した灯籠や手水鉢
トメは戦後、米軍の目を避けて飛行場跡地に棒杭を立て、娘の美阿子、礼子と共に毎日欠かさず特攻隊員の墓標代わりにお参りしておりました。
「お国の為に命を賭して戦った特攻隊員のために、お国が観音堂を建てて彼等をお祀りしなければならない」と言い続けて、公費での建立のためにトメ自らも奔走し昭和30年にようやくその願いは実現しました。
観音堂が建立された際に、灯籠や手水鉢を寄贈しています。
この時から現在に至るまで、知覧の町中に灯篭が建立されるきっかけとなっていきました。今では陸軍特攻戦没者数といわれる1036柱を超える灯篭が知覧でみかけることができます。(一見、風景写真に見える青空の広がる写真には灯篭が写っています)
のちほど「ホタル館富屋食堂」のニュース記事についてご報告いたします。