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知覧の特攻平和会館の前庭に、鹿児島市南洲神社 鶴田正義宮司の雄々しき特攻戦士を偲ぶ和歌
還るなき機をあやつりて征きしはや
開聞よ母よさらばさらばと
この歌碑が建てられており、この開聞とは薩摩半島の南端に聳える開聞岳のことで、薩摩富士とも呼ばれる秀峰で、特攻基地から飛び立った特攻戦士たちはこの開聞岳をかすめる時、翼を振って別れを惜しんだ。この知覧の特攻基地から出撃して散華された戦士たちは千三十六柱の多くを数えた。
この多くの若い特攻戦士から母の如く慕われた鳥濱トメさんは知覧の町で「富屋食堂」を営んでおりましたが知覧が特攻基地になるに及んで、陸軍指定の食堂となり、以来十代二十代の溌剌とした特攻戦士達が訪れるようになり、トメさんも親身になって面倒をみてあげました。
鳥濱トメさんの親身のお世話が、明日をも知れぬ青年達の琴線に触れ、たった一つの命のともし火を嚇嚇と灯して国のために殉じていかれました。
これを惜しまれた鳥濱トメさんは、戦後の特攻隊どころか、戦没者をも顧みない世相に逆らって、かつて特攻基地のあった一角に小さな慰霊のための棒杭を立て、雨の日も風の日も日参して香華を手向け、戦陣に散った勇士の勲功に慰霊の誠を捧げました。その熱誠が実り、特攻平和観音ができ特攻平和会館、平和公園と整い、更に桜並木と特攻戦死者と同じ数の千三十六基の石灯籠が並び、特攻戦死者の偉勲を讃え、後世にその名を残す環境が整いました。
鳥濱トメさんの特攻戦士に注がれた愛情が、それが特攻の町、特攻慰霊の町知覧として世にその名が耀きを放ち轟いていることを思えば、鳥濱トメさんの名も永く後世に顕彰されることを願って止みません。