知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会

当会は、特攻隊の偉業を顕彰し鳥濱トメの想いを引き継いで、正しい歴史認識を広めるための活動をしています。

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光山文博(卓 庚鉉)陸軍大尉

光山文博(卓 庚鉉)陸軍大尉

【鳥濱トメと特攻隊】
光山文博(卓 庚鉉)陸軍大尉
昭和二十年五月十一日 享年二十四
陸軍特別攻撃隊 第五十一振武隊 沖縄周辺洋上にて散華 二階級特進大尉任官
 昭和18年、光山大尉は京都薬学専門学校(現・京都薬科大)から学徒出陣し、太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所時代の知覧飛行場に入校し、特別操縦見習士官第一期生として、教育隊で操縦教育を受けていました。
そのころから、すでに陸軍指定食堂となっていた富屋食堂に頻繁に訪れて鳥濱家の面々と交流を図っており、そのころからすでに彼は、「自分は朝鮮人です」と口にしていたそうです。
そんな光山大尉を、トメさんは何かと気にかけ面倒を見ながら、一緒に食事したりまるで自分の息子のように可愛がっていたそうです。そんな中、彼は別の基地へ異動していきました。
昭和20年になって、光山大尉は知覧に戻ってきました。この時期に戻って来たということは特攻隊員になったんだ、とトメも気付き、残り少ない時間を大切に過ごしていきます。
 出撃前夜の5月10日の夜、食堂に一人で来ていた光山大尉をトメは自分たち家族の部屋に呼び、長女の美阿子と次女の礼子の4人で過ごしていました。
光山大尉は、いつもは戦友らと居ても軍歌など歌ったりしなかったのですが 「今夜は最後だから、故郷の歌を歌うよ。おばちゃん。」と言い、歌い始めました。
光山大尉は帽子深くかぶって顔を隠しましたが、肩がふるえているのを鳥濱家の皆は気が付いていました。トメや娘たちもたまらなくなって泣きながら一緒に「アリラン」を歌いました。
光山大尉は歌い終わると、朝鮮の布地で織った黄色い縞の入った財布に、筆で「贈 為鳥浜とめ殿 光山少尉」と書いて渡しました。
(実物は、今も知覧の「ホタル館富屋食堂-鳥濱トメ資料館-」で見る事が出来ます。)
「おばさん、今日まで大変お世話になりました。お世話になった御礼と言ってもこんなものしかありませんが、形見と思い、受け取ってください。」と言いました。
翌日、光山少尉は、遺書も書かずに出撃されました。
本日、光山大尉の御命日です。
合掌

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