平成4年4月22日
特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんは鬼籍へと入られました。 本日は御命日となります。
大東亜戦争中、鹿児島の知覧町(現南九州市知覧町)の陸軍指定食堂となった「富屋食堂」の女将で、戦争末期には知覧の特攻基地から出撃した436名の特攻隊員の面倒を見た事で知られています。特攻隊員は、全国から知覧へ集められました。その出撃前の最後のひと時を深い愛情で包み、彼ら全員の”お母さん”となったのです。
世の中では、戦争中は「軍神」などと崇められた特攻隊でしたが、戦後すぐに手のひらを返したように特攻隊を「軍国主義の象徴」などと蔑み、生き残った方々でさえ「特攻崩れ」と言われ罵倒されました。そんな中、世間が何と言おうとも「特攻隊のあの子たちの為に観音堂を建てなくてはならない」と言い続け、飛行場跡地に棒杭を立ててお墓の代わりとして毎日毎日お参りされていました。 その願いが叶って、知覧の飛行場跡地に特攻観音堂が建ったのは昭和30年秋のことでした。 それからも、トメさんは足腰が悪くなり通えなくなってしまうその日まで欠かさず観音堂へお参りを続けられました。 そのたびに、近所の子供達を観音堂へ連れて行き掃除をさせ、特攻隊員のことを語り部をしながら、おやつや果物などを食べさせて、観音堂に慣れ親しむよう、そして観音堂への参拝が「当たり前」になっていくようにと、長い時間をかけて尽力されました。 それが、現在も続く「特攻慰霊顕彰の町 知覧」へと続いているのです。
知覧の観音堂の御宝前で5月3日には毎年盛大な「知覧基地特攻戦没者慰霊祭」が催行されています。 鳥濱トメさんが遺してくださった、特攻隊員への慰霊顕彰の気持ちを受け継ぎ、一人でも多くの方に伝えていきたいと思います。
お時間がございましたら、皆様にもどこかで黙とうをお願いできましたらと思います。 事務局
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