【鳥濱トメと特攻隊】
蛍になって帰って来た宮川三郎少尉と同郷であった松崎少尉をご紹介します。
松崎義勝少尉 新潟県出身 享年十九
昭和二十年五月二十日 陸軍特別攻撃隊第五十振武隊として知覧基地より出撃、散華
松崎少尉(伍長から二階級昇進)は宮川少尉(軍曹から二階級昇進)と同じ、新潟県小千谷の高等小学校で級長・副級長の座を争い、共に切磋琢磨した親友同士でした。やがて、松崎少尉は陸軍少年飛行兵第13期生としての道を選びました。
卒業後別々の道を歩み始めた二人でしたが、混乱の時代、互いが飛行兵としての道を新たに選んだことはうっすらと耳に入っていました。
そして、二人はばったりと知覧の地で再会を果たしました。
宮川少尉は第一〇四振武隊隊員、松崎少尉は第五十振武隊隊員として共に肩を叩き合い、再会を喜びました。 もちろん、二人は富屋食堂にも顔を出していました。しかし、その喜びもつかの間であることをお互いに分かっておられました。 松崎少尉は、昭和20年5月20日出撃し散華されました。
宮川少尉はかつての親友の出撃を見送り、自身もそのことをつづった手紙を故郷の家族あてに書いたと伝わっています。
そして松崎少尉も最期に家族に宛てた手紙を出されておりますので、ご紹介します。
前略
いよいよ来ました。母上やりますよ。見てゝ下さい。
此の便の着く頃はもう敵空母と運命を共にし、木っ葉みじんに成ってることでしょう。
それから山口県防府市三田尻鞠生町吉野三夫様在府中一方ならず御世話に成りました故よろしくお願い致します。
今更言いのこすこともありません。くれぐれもお身体大切に。
それでは永遠にさようなら。
草々
*当会設立以前のお話になりますが、平成21年の知覧特攻基地戦没者慰霊祭に参列するため、トメの孫である赤羽潤さん(現・当会顧問)らと鹿児島市内で知覧に向かうバスを待っていたところ、待合のベンチで雑談を交わした女性が偶然にも松崎少尉の妹さんでありました。 巡り合わせに非常に感動したことを覚えております。
本日は、松崎少尉の御命日です。
合掌