知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会

当会は、特攻隊の偉業を顕彰し鳥濱トメの想いを引き継いで、正しい歴史認識を広めるための活動をしています。

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【万世特攻慰霊碑慰霊祭 供花】

【万世特攻慰霊碑慰霊祭 供花】

本年4月14日(日)に、鹿児島県南さつま市にある『万世特攻平和祈念館』前にて『第48回万世特攻慰霊碑慰霊祭』が催行されました。
ご遺族のほか、旧隊員、関係者など約300名が「よろずよに万世特攻慰霊碑」前に集いました。
毎年4月の第二日曜日に催され、各行政の長や旧隊員のほかに地元の高校生なども慰霊の言葉を述べます。
本年も会員の皆様のご支援のもと、供花をさせて頂くことが出来ましたのでお写真を掲載いたします。

知覧から西へ約15キロ行った吹上浜に「万世飛行場」は昭和18年夏から19年末にかけて建設され、陸軍最後の特攻基地となりました。
この飛行場はわずか4ヶ月しか使われませんでしたが、201名の特攻隊員が沖縄へと出撃されました。

旧隊員であった苗村七郎氏の尽力により、万世特攻平和祈念館、そして昭和47年に「よろずよに」慰霊碑が建立されました。その慰霊碑の碑文をご紹介します。

「 昭和十九年太平洋戦争の戦局はとみに悪化し、すでに決定的段階を迎えんとしていた。ここ加世田市吹上浜の地に、戦勢転換の神機を期すべく地元民学徒ら軍民一致の協力によって、本土防衛沖縄決戦の基地萬世飛行場が建設された。
昭和二十年三月二十八日より終戦に至るまで、陸軍特別攻撃隊振武隊の諸隊、飛行第六十六戦隊、飛行第五十五戦隊の若き勇士たちは、祖国護持の礎たらんと、この地より雲表の彼方へと飛び立った、一機また一機と。
征きて帰らざる者あまた。或は空中に散華。或は自爆。壮烈にして悲絶。その殉国の至誠は鬼神もこれに哭するであろう。
終戦以来幾星霜、ここに祖国は、その輝かしき復興をとげた。われら生き残りたる者と心ある人々は、英霊の魂魄を鎮め、その偉勲を称えんがために、ここにこれを建立する。
昭和四十七年五月二十九日 」

子犬を抱いた少年は、荒木幸雄少尉。出撃当時わずか17歳2ヶ月でした。一緒に写っている隊員たちも17歳が2名と18歳でした。自分の将来を祖国日本のために捧げた至純の魂で散華されました。彼らは第72振武隊として、この万世飛行場から出撃、散華されました。

万世供花1 万世供花3 万世供花2

 

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